35thトピック2「総合優勝」について
小川 健二 2021.02.22
トピック2では、女子総合優勝について振り返りたいと思います。
初めての女子総合優勝は、2年目の昭和62年(1987)秋の県南高校新人大会でした。
この年の夏休みに当時千葉県野田市立第二中学校陸上部顧問の野島先生から指導法を教えていただきました。その一つに一番小さい大会でいいから総合優勝をすることでした。そこで目標にしたのが1カ月後の県南高校新人大会でした。選手11名マネージャー2名の13名での挑戦でした。大会当日私は校外学習で引率できませんでしたが、総部2年目で県南高校新人を総合得点58点(6点法)で総合優勝してしまいました。大会への施策は一人3種目出場。派手な種目優勝より1点でいいから複数入賞でした。ちなみにこの大会では種目優勝は槍投だけでした。そしてもう一つ、実は大会直前に私が引率できないので部員たちのモチベーションをあげるためにある約束をしていました。それは「女子総合優勝したらディズニーランドに連れていく。費用は俺が持つ。」という約束でした。その約束は実行しました。でも部員のやさしさで費用については、入場料だけになりました(笑笑)。
【県南高校新人大会 女子総合 初優勝のメンバー(この写真は4月);1987年】
【約束のディズニーランド;1987年11月】
その後も野島先生からご指導をいただきました。そして野島先生から埼玉栄高校の大森先生のところに行って勉強してくるといいと言われ、5年目の1月上旬に私一人で2泊3日の勉強に行きました。大森先生は丁寧にいろいろなことを教えてくださいました。そして、県大会の総合優勝は、6年目の平成3年秋(1991)の県高校新人大会でした。この時は部員も増えていましたが、一人一役で全員が役割をもって大会に臨みました。大会最終種目の4×400mR 直前でこの種目5位以上で総合優勝という得点でした。予選タイムは3位。しかし、まだこの大会で優勝種目がありません。私はあえてレース直前に部員全員とリレーメンバーに今の状況の話をして、「最終種目優勝で総合初優勝に花を添えよう」と盛り上げました。リレーの作戦は「300mタイムトライアルのように全力で走って、あとは根性でもってこい。」そしてアンカーだけにはいろいろなパターンの策を話しました。しかし、この頃の大会はまだ6点法だったので、この策が裏目に出たらと心配でした。レースは1走から4走まで全員が300mまで全力で走りラスト100mはフラフラでしたが、1度もトップを譲らずの優勝でした。そして総合得点は2位と5点差の49点で総合初優勝(6点法)でした。
【茨城県高校新人大会 女子総合 初優勝;1991年】
そして、5月の県高校総体は8年目の平成5年(1993)に83点(8点法)で初優勝することができました。この時は4×100mRを含む4種目で優勝でした。
【茨城県高校総体 女子総合 初優勝;1993年】
その後、関東高校(北関東)は平成10年(1998)に埼玉栄高校の数十年続いていた連覇を止めて、17点差の57点を取り初優勝することができました。
【関東高校 女子総合 初優勝;1998年】
【総合優勝回数(35年間)】(令和2年度、女子実施種目数;20種目)
〇県南高校総体(春);優勝回数18回、最高得点209点(2004・2005年;17種目実施)
〇県南高校新人(秋);優勝回数19回、最高得点207点(1997年;13種目実施)
〇茨城県高校総体(春);優勝回数13回(連続優勝11回)、最高得点132.5点(1998年;12種目実施)
〇茨城県高校新人(秋);優勝回数10回、最高得点147点(1999年;16種目実施)
〇関東高校(北関東;6月);優勝回数1回、最高得点57点(1998年;12種目実施)