陸上駅伝部35thトピック8『投てき種目』
小川 健二 2021.03.16
トピック8では、【投てき種目】について振り返ります。
総部の1年目に投てき選手2名が入部しました。1人は、千葉県出身で砲丸投において関東大会出場している松村操選手でした。入部してすぐの県南大会では、この選手は9m32で3位、もう一人の選手は9m37で2位と予想順位が逆でした。この大会では、髪の毛をポニーテールにして赤いリボンをつけての大会参加でした(笑笑)。そしてこの選手は、県高校新人の円盤投で第5位(28m08)に入賞し、本校としての初入賞でした。その後、総部3年目の高3の県高校総体では、槍投で3位・砲丸投で4位・円盤投で5位と3種目で入賞し関東大会へ出場しました。その年の県高校新人では、円盤投で青柳和子が初優勝と続きました。
投てき種目については、駅伝(長距離)を中心に指導しなくてはならなくなり、平成18年(2006)からは選手の勧誘は控えていきました。
≪県大会(県高校総体・県高校新人・県選手権)の入賞一覧≫
1986年から2008年(23年間)の県大会3大会の入賞は、砲丸投;80回、円盤投;67回、槍投;55回、ハンマー投げ;3回でした。砲丸投の80回入賞は、種目別では最多入賞数だと思います。
≪全国大会入賞者≫
【全国高校総体】
円盤投 第8位 安達 文子(1999年)
槍投 第8位 塚本 侑子(2006年)
【国体】
円盤投 第8位 安達 文子(1999年)
【日本ジュニア】
円盤投 第6位 森戸 麻美(2000年)
≪県大会優勝者≫
【県高校総体 優勝者】
〈砲丸投〉5人 ①今井千左子(1997)、②今井千左子(1998)、③森戸麻美(1999)、④森戸麻美(2000)、⑤郡司綾乃(2004)
〈円盤投〉2人 ①今井千左子(1998)、②森戸麻美(2000)
〈槍投〉 5人 ①長谷川令奈(1993)、②安蒜未花(1994)、③富田悠香(1995)、④橋本みく(1998)、⑤塚本侑子(2004)
【県高校新人 優勝者】
〈砲丸投〉5人 ①竹之内民子(1990)、②今井千左子(1996)、③今井千左子(1997)、④森戸麻美(1999)、⑤郡司綾乃(2003)
〈円盤投〉2人 ①青柳和子(1988)、②今井千左子(1997)
〈槍投〉 4人 ①長谷川令奈(1992)、②伊東美江(1996)、③橋本みく(1997)、④郡司綾乃(2003)
【県選手権 優勝者】
〈砲丸投〉4人 ①今井千左子(1997)、②今井千左子(1998)、③森戸麻美(1999)、④森戸麻美(2000)
≪印象に残っている選手≫
【湯原 聖子】(写真無し)
湯原は、中学時代軟式テニスを行っていましたが、高校ではハードルをやりたいと中学の先生に相談したら、それなら聖徳に行きなさいと言われ入学してきました。入学時はハードルを教えました。インターバルを3歩で行けましたがスプリント能力もあまりなく不器用でした。そこでテニスを行っていたことと体も大きかったことから円盤投を勧めました。その後、力はついたのですがなかなか技術が良くなりませんでした。高校2年生になり県高校新人の円盤投で4位(34m88)、砲丸投で6位(9m94)に入賞しましたが、なかなかターンやグライドがうまくいなりませんでした。冬季の練習はパワーアップとターン練習に力を入れました。県高校総体は円盤投で2位(38m08)に順位を上げました。円盤投げは、山崎祐司先生に私が指導法を教えてもらっていましたので相談しました。スタンディング投げでもターンでも記録が変わらなかったからです。山崎先生は「ドイツの選手にスタンディングで世界で戦っている選手がいるよ。だから、ターンができなくても徹底的にスタンディング投げでもいいんじゃないか」というアドバイスでした。迷いながらも関東大会では、初めの3本はスタンディング投げ、決勝に残ったらターンと決めて臨みました。結果はスタンディング投げの記録が残って6位(38m40)入賞。インターハイ出場です。インターハイでは迷わずスタンディングで臨みました。練習会場ではスタンディング投げで40m付近に何本も投げました。注目されているのがわかりました。ターン練習はしても投げませんでした(笑笑)。インターハイの予選は、たった一人スタンディング投げです。目立ってました。40m36を投げ、予選通過です。笑いました。決勝は39m78で13位でしたがインターハイでスタンディング投げをして決勝を投げている選手は見たことがありません(笑笑)。大学では全日本インターカレッジで第3位と活躍しました。投げは、重心を低くし歩くようなスピードでターンに入り、スピード加速し、力強い投げのターン投げに成長していました(笑)。
【安達 文子】
≪安達文子の円盤投≫
安達は中学時代ハードルで県大会出場の選手でした。高校1年の7月の学年別大会では100mHで2位になり、聖徳に入学して良かったと言っていました。県高校新人では7位と始めて共通の大会で入賞したことを喜んでいました。冬季練習が始まり体力テストを行ったときに握力が40kを超えていたことに目が行き、細身ですが手足が長く身長が170㎝を超えていたので円盤投げを勧めました。すると「私はハードルがやりたくて入学したんです。県大会でハードルが入賞しているのになぜですか?」と聞く耳を持ってくれません。しかし、何とか説得して週に1回だけ円盤投げを練習させました。高校2年の県高校総体は、100mHが7位、円盤投が8位でした。そして県高校新人では、100mHが4位、円盤投が5位でした。県高校新人が終ってすぐに「相談があります」と来ました。「私は本当に円盤投に向いているんですか?」と聞くので「週1回の円盤投練習で県新人5位は凄くないか?どう思う?」と言うと「わかりました。円盤投に集中します。ハードルはもう試合に出ません。」と言うのです。ハードルは県新人4位でしたのでもったいなかったんですが、本人の強い思いを感じたので、冬季練習は円盤投げを中心に投てき種目に専念しました。安達の円盤投は、ターン投げです(笑)。高3になり県高校総体は2位(県新人5位からジャンプアップ)。関東高校は優勝。インターハイ8位という結果でした。インターハイでは予選トップの記録で通過したので部旗の心配をしました(笑)。国体は、大会前日に右手の人差し指と中指を車のドアに挟むというトラブルが起き、病院でレントゲンを撮り骨には異常なしでしたが痛みがかなりあり、一日中アイシングをしていました。大会当日も痛みはありそうでしたが「試合は出ます」というので出場させました。一発決勝だったので、投げは一切行わないで本番勝負にしました。1本目は全く飛びませんでしたが3本目までには、ベスト8に進出し、第8位に入賞でした。強い子だなと思いました。その後のシーズン最後の記録会では100mH に出場し楽しそうに走っていました。また、一度も練習日誌を提出していない部員でしたが、私が配ったプリントや大会の反省等すべてをまとめていて分厚いノートを持ってきた部員でした。
【塚本 侑子】
≪塚本侑子の槍投≫
塚本は、中学時代にジャベリックでジュニアオリンピックに入賞し、綺麗に投げる選手でした。本人が入学してきた時は、私が駅伝を中心に指導して2年目になっており、大橋忠和先生に短距離・跳躍・投てきを指導が願いしていました。私が大橋先生に指導法を伝授し、大橋先生が選手に指導するという流れを作りました。塚本のデビューは、素晴らしく高1の県高校総体で優勝(40m96)。関東高校も優勝(45m25)というスタートでした。関東高校では1投目が勝負だと思っていました。その1本目、リズミカルな助走から素直な投げ方で投げた瞬間「いったー!」と私は立ち上がって叫びました。続いて大橋先生も立ち上がって万歳していました。それが優勝の1投でした。その後、県内の同級生にライバルが出現しましたが、3年の関東高校も優勝(47m28)し、インターハイでは第8位に入賞しました。大変素直できれいな投げをする選手でした。
≪森戸麻美の円盤投≫
創部以来投てきには力を入れて指導してきましたが、平成12年(2000)を機に投てき種目はあきらめて、駅伝(長距離)にシフトしました。その後、大橋先生に指導をお願いしましたが平成19年(2007)に転勤後からは結果を残せず、平成21年(2009)からは3大会で県大会に入賞ありません。
ご指導いただいた先生には、恩師の瀧田先生・小山先生はもちろんですが、山崎祐司先生には本当にお世話になりました。投てき種目の面白さを教えていただきました。選手としても武者修行でアメリカに行き、円盤投げで日本歴代2位の記録を投げ、指導者としても県立土浦湖北高校での活躍は素晴らしく尊敬しています。投てき種目では全国優勝者を多数育て、県総合優勝も男女アベック優勝など(県高校総体;男子8回・女子8回で計16回、県高校新人;男子10回・女子9回で計19回、男女合計で35回の総合優勝)を成し遂げ素晴らしい結果を残しています。その山崎先生が県立土浦湖北高校に転勤してから「県総合を勝ちたい」と相談を受けました。投てき種目の指導法を教えていただいていたので迷うことなく、私がどのような考えで行っていたかを全てを伝えました。その後、明らかに参考にしてくれているなと思った頃、そのことが一緒に聖徳を指導していた大橋先生にバレてしまい、「なぜ教えちゃったんですか?」と怒っていました(笑笑)。
ご指導いただいた先生方
砲丸投げ;(故)瀧田 詔生 先生(元成田高校監督)、小山 雄三 先生(現日本大学スポーツ科学部学部長・元成田高校陸上部顧問)、野島 三宜 先生(元千葉県中学校教諭)
円盤投;山崎 祐司(元県立土浦湖北高校監督)
槍投;山崎 祐司(元県立土浦湖北高校監督)