卓611 Memorial
水越 卓治 2021.06.11
市川にあるマンションの一室を整理しておりますと、
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( 2021/4/29 14:31 )
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「卓治 日本・世界地図」と側面に書かれた巻物が突如出現。
これを広げてみますと、
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たどたどしい地名表記が施された図面が現れました。
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( 「イズシEトウ」などと書いています。)
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これは、要らなくなった襖の裏紙に描かれたもの。
ピクチュアパズルを手本に自己流で作ったものだったか。
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襖から剥がす前の写真まで出てきました。
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( これって何年前だろうと勘定したら、50年でした。)
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昭和46(1971)年の8月とあるので、
現在の台湾を、
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このように表記していたのは合っています。
日中国交正常化(1972)以降だとNGでしたね。
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じつは、両親の遺品整理をしております。
13年前に母が、そしてこの4月父が他界しました。
自分の幼いころの写真とも久々に再会。
乳幼児~小6時代のものを、年齢別に分けてみました。
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( ↑ 小2まで ↓ 小3~小6 )
写真群がアルバムに収まっていないのにはわけがわります。
以前住んでいた旧宅が、1981年(高1)に台風により、
床上浸水に遭いました。その際、貴重なアルバム群は水浸し。
自分の幼少時の写真は、「喪失」同然となりました。
少し高い所にあった幼稚園と小学校の卒アルだけは幸い無事。
後日父は、1頁1頁脱水や乾燥を試みたものの、とても、
手に取って思い出に耽るような姿には戻りませんでした。
なお、中1頃以降に自分で撮り始めた写真群は、
2階の自室にあったため、無事で、今も手元にあります。
高1以降、自分の幼少時代の普通の写真が皆無となりました。
その後、1990年に母方の祖母が他界すると、それまでの
数十年間、祖母宛にまめに贈ってあった写真群が見つかり、
それを母が祖母宅から取り戻してきたために、
「喪失」と諦めていた幼少時の写真との再会が果たせました。
また、洪水時、母がしまっていた写真も実は無事だった模様。
しかし、自分が結婚を機に1998年に父母宅を離れたたため、
中1以降の写真や卒アルなどは、自分の新居に運びましたが、
乳幼児~小6編とはまたしばらく、両親宅に仕舞われたまま
の状態にはいって23年、このたびの再再会となりました。
遺品整理はまだまだ続きますが、
写真ばかりは断捨離が困難です。
見知らぬ方々(おそらくお世話になった方々)との集合写真
など、どうしようかという話にもなります。
その反面、写真が撮られた日付とか場所とか、5W1Hが、
裏や脇に書かれてあるものは、写真としての意味を感じます。
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とはいえ、亡父・亡母には感謝の意味を込めて、
遺影の反対側ということで、皆で居並ぶ一枚を撮りました。
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( 2021/4/17 15:18 介護施設の一室にて )
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