卓667 青い一日
水越 卓治 2022.07.08
この日も遠出を。
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( ▲ 2022/6/26 5:56 )
東京駅から普通列車で南西へ向かうこと、2時間半。
関東地方から中部地方に入り、別の線に乗り換えました。
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( ▲ 2022/6/26 8:27 )
向こうには、人口約200人の小さな島影。
江戸城の修築に用いられた石はこの島からも切り出され、
運ばれていったという案内を、以前訪れた時に見かけました。
平地の乏しい半島の東海岸を南下。
海沿いの景観と長いトンネルとが交互に現れます。*
( 2022/6/26 8:46 )
少しして、とある観光・保養都市にさしかかり、
見えてきたのは、
( 6/26 8:47 )
昭和後期に、「電話はよい風呂」で名を馳せた白い巨塔。
右端の上階に構える広間「大聖龍」につながる渡り廊まで、
ほんとうによく見えてしまった瞬間です。
さらに、海沿いを70分ほど南下しまして、
( 2022/6/26 9:57 )
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終点の駅に降り立ちます。
駅から南へつづく、古くからある市街地の家屋には、
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( 2022/6/26 10:22 )
「なまこ壁」とよばれる幾何学的な紋様が。
( 10:18 )
集配局にも、なまこ壁。この地域のシンボルです。
市街地をはずれ、丘を越えると、
( 10:30 )
潮の香とともに、海が。
手前のホテルの正面では、
「祝・金婚」と大書した紙を手に記念撮影する夫婦の姿が。
( 10:39 )
鍋田海岸。
じつは、44年前(中1)の7月下旬、
臨海学校で5日間ほど滞在したことがありました。
さきほど老夫婦を見かけたホテルがその宿泊先でした。
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( 2022/6/26 10:45 )
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湾の奥にあるビーチ。臨海学校のまさに舞台だった場所。
当時は今の半分の体重だった自分は、ここで準備体操したり、
泳ぎや海釣りを習ったり、相撲大会をやったりと…。
13歳の思い出に耽りながら背後にふりかえると、そこには、
21歳(36年前)の秋に滞在したことのあった建物が。
( 10:42 )
大学の臨海実験センター。
地球科学野外実習(地理学や地質学)の集中授業でしたが、
ある日の夕方、伊豆大島の三原山が突如噴火。
夜半、上階からは、40kmほど東方沖合いに溶岩らしき光を
仲間とのみながら、うわ~とか言いながら見ていましたっけ。
( 2022/6/26 11:00 )
大学のときはこの浜には来ませんでしたが、
13歳と21歳にゆるく刻み込まれた心の風景と再会。
百均ビーサン履いて、20分ほど足だけ海水と戯れました。
この日見かけた海水浴客の姿は十数人だったでしょうか。
水着姿にカメラを向けないよう配慮していたため、
少し寂しげな写真ばかりとなってしまいました。
同じ市内にある白浜海岸とは対照的に、ここ、鍋田は、
守られたる育てられたる海岸といったところでしょうか。
臨海学校で、浜から宿泊地へ歩いて戻るときに見た景。
( 2022/6/26 11:23 )
3時間ほどの散策を終え、帰路へ。
車窓には、雲こそかぶっていますが、
往きには見られなかった三原山の姿が。
( 2022/6/26 13:27 片瀬白田・伊豆稲取間 )
( こちらの島は、2枚目の写真で見えた島の、人口で34倍、面積で200倍の規模。 )
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地層の底に埋もれたような、
二層の記憶を呼び戻す時間となりました。
日帰りリフレッシュ、ときどきお勧めです。
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きょう、2022/7/8は、
今もなお信じられない報道が内外を駆け巡りました。
今年も半分を過ぎましたが、
将来、どんな年として振り返ることになるのでしょうか。
希望にあふれる時空を維持していたいものです。
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