卓722 忘れていないようでいて
水越 卓治 2023.07.28
水曜日に投稿した記事の末尾に、学生時代、
土浦港の湖面に艇を出す場面の写真を上げました。
右下隅には1985年9月14日の日付がプリントされています。
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この日は艇庫に午後3時集合で夕練だったこと、
その日が土曜か日曜だったことなど、
今まであまり思い出したりしていなかった記憶が
少しずつ思い出されてきます。
このとき一浪で入学して早5か月、運転免許も未取得で、
6時から8時まで朝練をする霞ヶ浦・土浦港へは、暮らしてい
たつくば(当時は茨城県新治郡桜村でしたが…)からは十数キ
ロほどあり、自転車で片道40分の行き来をしておりました。
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ですが、たしかその日は、もちろん自転車でしたが、
つくばからではなく、なぜか取手駅西口から国道6号を下って
土浦港へ向かったのを思い出し…。
景色の大半は忘れましたが、途中、左手に広がる牛久沼と、
その低地から牛久の高台への上り坂(今はありませんが、
途中に「北浦坂」というバス停がありました)とか、
経路上には断片的な記憶がのこっていたりします。
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では、なぜ取手駅西口から土浦港へ向かったのかというと、
これも忘れていませんでした。
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実家の市川にある中高時代に使っていたギア付きの自転車と、
つくばで生活用にと4月に入手した、ほぼママチャリ仕様の
自転車とを交換するという、
ちょっとしたプロジェクトだったのです。
朝練で片道十数キロをママチャリでは…、ということで、
市川からは父が、つくばからは私がそれぞれのをこいで、
中間地点で交換しようということになったのです。
で、ママチャリは市川で父か母が使用するというわけです。
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その中間地点というのが、じつは取手の駅前だったのです。
どちらからも30km程度です。父親の方は、私が5か月こいで
いなかったギア付きで、船取県道を北上してきたようです。
略地図で示すと次のようになりまして。
実線がギア付き、点線がママチャリで、
ブラウンが父のこぎで、グリーンが自分のこぎを意味します。
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( 背景に「地理院地図」(2023/7/28ダウンロード)を使用。 もんじゃ焼きの小べらみたいな図形になってしまいました。 )
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当日は朝から好天に恵まれ、双方は順調に移動。
お昼ごろに取手駅西口付近にて無事会うことができまして、
当時、まだ真新しかった7階建ての東急ストア(現在そこは、
西友取手駅前店が入る「リボンとりで」)は、今も外壁が白い
ベコベコとしたブロックで全面が覆われていますが、この日も
地上階の白い外壁の前に2台の自転車を止め、最上階の店で小
一時間、昼めしとって疲れをとる、父56歳と私20歳の秋。
たぶん、利根川が見渡せた、中華の店だったと思います。
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( 2019/11/4 13:37 リボンとりでの3階出入口。白いベコベコ外壁も見えます。)
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食後にチャリを乗り換えて、ママチャリの父は南へ、念願の
ギア付きで私は北へと向かい、互いに無事に移動を終えます。
このときは自分が取手市に20年以上住むことになることや、
取手聖徳に30年以上勤めることなど思いもしませんでした。
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さて、さきほどの略地図から見ても、私は取手聖徳のそばを
ママチャリで通り抜けていたはずなのですが、
その存在を意識していなかったためか、校舎や校地の存在に
ついてはまったく記憶がありません。不覚であります。
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( 2023/7/6 13:33 4階・地理部屋ベランダから見る、「現在は信号のあるT字路」。 )
学校のそばの、現在は信号のあるT字路を右折して、
少し先に表れるY字路で、市街地に出るには距離的に
高低差的にどっちに曲がるのがが正解なのか。
持っていた5万分の1地形図見ながら、
思案していた記憶はあります。
( ↑ ↓ 2023/7/28 16:11 常福橋のY字路。全方向一時停止で、よくパトカーが違反車両を張っています。)
でも、このときすでに開校3年目であったはずの当時の本校を
「あ、大きい学校がある」とか思いながら見た記憶が、
これが全然ないのです。
おそらく、どの道で市街地に向かうのがベストなのかを
吟味・検討する方に気が行ってしまっていたからなのかも…
と、思うようにしています…。
( 2023/7/28 16:09 西方の県道19号から臨む校舎。)
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P.S.1
さて、取手駅への往路、
筑波からどんな道をママチャリ漕いできたのか。
断片的な当時の記憶を文字化してみると、本編では
冗長になってしまいそうなので、そのときの景観や思いは、
こちらの追伸の部に4つほど、あげてさせていただきます。
1 学園都市の「松代西」交差点(通称「あさくまの角」)か
ら谷田部へ向かう、当時はまだ「県道取手筑波線」に指定され
ていた道路を南下すると、右手の畑地数百m向こうには、この
年開催されていた科学万博会場内の観覧車は半年間お疲れの。
2 当時の谷田部町の中心部の、台町、坂町、四ツ角などのバ
ス停がある古い佇まいの一帯を抜け、谷田部高校(現・つくば
工科高校)の先で常磐道(高速)をくぐり、中野入口で県道を
それて、ショートカットで小集落の細道で抜けると、高岡の集
落で高木の下で涼しげな日陰にある県道のカーブ地点に出た。
3 板橋を過ぎ、高台から低地に下りると、田んぼと農村集落
ばかりの区間が続いたが、福原から谷井田へと、右折左折をし
ながら抜けてゆくと、畳屋、酒屋、洋菓子屋、農協、銀行など
が県道の両側に点在する地区に入ってきた。ここが3月までは
村であった伊奈町(現・つくばみらい市)の中心地区らしい。
4 小貝川に架かる200mほどの比較的新しい橋(二三成橋)
を渡ると、伊奈町から藤代町へ。このあたりから取手駅方面へ
向かうには、この県道をそのまま進んでいては遠回りになる
ため、酒詰交差点へ向かわずに市街地方面へショートカット。
…この県道の両側が田んぼばかりの一帯のどこかで右に折れ、
幅の広めの道を地形図から読み取りたいのだが、Y字路やT字
路が田園の中で不規則に連続しており、山の中でもないのに
道を選ぶのが容易ではない。
取手駅まで、桑原・井野台を経て行ったのか、
寺原(本郷)・白山を経ていったのかが思い出せない。
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(「今昔マップ」(2023/7/28ダウンロード)を使用。)
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P.S.2
忘れているようでいて、結局は胃袋系の話題です。
先週土曜は、学年の先生方で夕食会。場所は町屋の浜作さん。
( 2023/7/22 ↑ 19:48、 ↓ 21:16 )
こちらのお店でユニークなのは、
甘味の鉄板メニューもあることでしょうか。
餡子やアンズの和風クレープみたいなものをラストに賞味。
以前はお店が京成の古びた高架下にありまして、その頃の、
頭上で電車がガタガタいう下でジュージューと垂涎メニューを
焼きに焼く時間というのもある種、風情がありました。
以上になります。酷暑を乗り切りましょう。