卓796 お世話様でした
水越 卓治 2024.12.27
・「お世話様でした。」というフレーズをよく使う。家の中や職場ではさほど使わない。買い物の勘定が済んだり、後払いのバスを降りたりする際などに、先方からの「ありがとうございました。」に対して、挨拶含みの軽いお礼といった感じでちょっとだけ心をこめて使う、便利かつその場の不足感を伴わないひとことである。
・でもどこか、世界的に既に知られたフレーズ「ありがとう(ございました)。」などにくらべると、あらゆる年齢層が使っているわけでもなさそうなうえに、全国津々浦々で使われていそうでもない。かといって、通だけが使っている俗語というわけでもないというあたりに、日本語としての標準度からして、微妙な立ち位置に配されている感が否めない。それでいて、相手側が焼いてくださった世話への感謝を確実に伝える粋なフレーズでもあり、「ご馳走様でした。」に返す「お粗末様でした。」の親戚みたいな感じさえする。この「お世話様でした。」の使途を振り返り、思いを馳せたことなどはこれまで一度もなかった。ちょぴっと馳せてみようと思う。
*
・たしかに、自分自身、少年時代は「お世話様でしたぁ。」などと言ってはいなかったと思う。いつ頃から使い始めたのか、すぐにはわからない。少なくとも高校時代まではそうだったし、大学時代も言っていたのか、いなかったのか…。検索迅速な自分史のドラレコみたいなものでもあれば確認可能だが、再生して見聞きしたくないことも相当量あるから、そんなメカにこんなテーマの真実を乞う気持ちはさらさらない。
・逆に、今の職業の日常で、授業終了時の「礼。」の号令に続けて、「ありがとうございました。」ではなく「お世話様でしたぁ。」と生徒たちから唱えられたとしたら、少し「え?」と内心引き気味になると思う。実際に、少し違うが「お疲れさまでしたぁ。」などなら、掃除や部活、委員会など、先輩後輩を交えての結びの挨拶などで普通に輪になって交わされている(…話は逸れるが、生徒にとって、こういう場や瞬間の積み重ねがこの国の学校生活では貴重極まりないと感じている。)。別段、生徒から「お世話様でした。」と仮に言われたとしても、理解をするに何の抵抗はないのだけれど、馴染んでいないというか、言われるであろうという身構えはないという認識があるのと同時に、言われる習慣がそもそもないといった感じである。
・自分の場合はもしかすると、社会人になってからのどこかの時点で使うようになったのかもしれない。面識の有無や年齢の高低を問わず、社会人同士という同じような身の丈同士で交わす、プチ感謝フレーズとして、定番フレーズとして、時点は謎とはなっている中、自分のものにしていったのかもしれない。そういう意味では、大人の挨拶なのかもしれない。今や日常以外でも、調子がいいときなどに「オセヮサンシタ!」とか早口で飛ばして、大半は通じる場合があるものの、「何か日本語じゃない言葉言われたぞ」みたいな顔をされちゃう場合もまれにある。正直、細かいことはあまり気にせず、どんなときにもそれとなく愛用している感じである。
*
・とはいえ、年齢・年代に起因しないケースもある。従来型のレジなどで、店員さんからの「ありがとうございました。」に対して普通に「お世話様でした」と返して普通に勘定終了なときも多い中、たまに、その店員さんの表情や目の輝きが、何かに感激したようなテンションにに急変していて、「ありがとうございます!」とお礼のパートⅡを返される、ということも冗談ぬきであったりする。そのときは何か魔法の言葉でも俺は言ったか?と内心若干うろたえてしまう。それよりも、ここでは「お世話様でした。」と客から言われることなどまったくないのかとさえ思ってしまう。
・しかしそのあと、レジ向こうの台などで、買った品物をバッグに詰めながら後続の客とレジとの言葉のやりとりを背中で聴いていると、客の方は無言であるか、「はい」とか「うん」程度しか言ってない場合が大半で、ごくたまに「ありがとねー」「どうもね」という客がいる程度。もしかすると「お世話様でした」などと言ってる客は超少数派なのか…という感じさえしてくるが、じつはこれは、地域性のちがいというのも十分に考えられる。「あらどーもねー」「こちらこそねー」など、店と客との間の距離や標高差がさほど感じられない気風が、店ごとに醸成されているのか否か、または地域ごとに脈々と続いているのか否か。…習慣や常識のスタイルが、店や地域の文化として表出するからこそ出くわす、一種の違和感なのかもしれない。
・時間軸で(大げさに言えば「歴史的に」)考えてみると、2020年(令和2年)に始まったパンデミック(コロナ禍)の影響が大きいようである。感染対策第一のために、店でのやりとりも含め、多言を控えざるを得なくなった状況が早4年ほど過ぎた今、そのまま戻り切らずにいることも考えられる。時期を同じくして、店での決済や発注のシステムも、セルフレジやタブレット画面、客自身のスマホ操作に取って代わった現場も増加した。「ご利用ありがとうございました。」の機械音声の方は必要であっても、「お世話様でした。」の返答の方は全然必要がなくなってきたのかもしれず、一概に地域差だとか、店ごとの文化の違いなどの一言では片づけられなくなってきたのかもしれない。
*
・きのうやきょうも、市内のドラッグストアチェーンのレジ、ハンバーガーチェーンのドライブスルー、郵便局の窓口、バスの降車時などで支払い・決済時に「お世話様でしたぁ。」の語を用いてきたが、どちらさまも愛想はよかった。特に某1か所は、交わしたあとに満面の笑みを返してもらえたが、そこの場合は半世紀前も昔からスマイル0円をうたってきた伝統もあってのことでもある。バスに至っては、運転士も降りる客も共々礼をその都度交わし合っている。降りる客からの言葉も「お世話様でした。」よりも「ありがとうございました。」の方が多く、丁寧な印象を受ける。
・どの場においても、していただいていることに対して多彩なパターンで礼を交わし合う習慣や文化こそが、生き方・歩み方の基盤でもあり、人間が生きる社会としての和を体感する日常は、テクノロジーの環境が進化を続けても、伝え合いたいものが維持されるようにあってほしいと願うばかりである。
( 2024/11/22 12:11 卓791の末尾に記載しました、飯田橋・遺失物引き取り行脚の帰り道。取手駅東口・3番乗り場。 )
*
*
よいお年をお迎えください。
■
*
*